三蛙つれづれ記
                  (三蛙の見蛙、聞き蛙、申し蛙三様が
                   さまざまな巷の題材を整体論的に
                   すが目、しか目で放談しあう徒然鼎談)


                  



  つれづれ体癖人物図録
       


             
@気むずかしさと勿体と。福田元首相
A実行と冷徹と。小泉元首相
B立っているだけでも元気になるのか!?
Cしなる腕!錦織 圭
D神妙にしかし、よどみなく…鳩山総理
E人は、分かりあえるのか。
F日本の顔!?豊田彰男社長
G“ぐだぐだ”と“力の理論” 菅と小沢
H村上春樹とは、何者なのか!?
I助手と六種とゴーシュ
           〜宮沢賢治の世界

J吉本隆明は特異な位置の住人


  

             

             @気むずかしさと勿体と。福田元首相

 

 福田元首相




















上下型一種体癖のこの人の印象と云うのは、
理屈っぽく何事にも一言付け加えねば気が済まず、
冒険と云うものは一切しないし、本当に動かない岩の
ように頑な(かたくな)な感じであったのですが、
今回の総理就任にいたるまでのこの人のうれしそうな
顔と云うのには、本当に驚かされました。
一種は毀誉褒貶(きよほうへん)にからっきし弱いと
云われるのですが、本当に弱いのだ、名誉や地位と
云うものが大好きなのだ、と改めて認識したものです
しかも今に至っても相変わらず、うれしそうである、
実にうれしさにも勿体(もったい)をつけるのです。
一種の話と云うのは面白いのです。
回り道をしようがややこしかろうが構わず、頭を働かし
回す一種の
回りくどさも小難しさも慣れるほどに
実に面白い。
ところが勿体をつける。自分自身でどんなに面白いか
に、勿体をつけて期待を持たせるのです。
勿体(もったい)が過剰なほど、拍子抜けも大きく
話がなかなか核心に至らないまま終わってしまう
場合があって、あれっと思うのですが、一種にとって
は勿体(もったい)自体が核心なのです。
毀誉褒貶も空気のようで実態のない、関心がない
人にとってはまったく価値のないものですが、
一種にとっては勿体も、実態のある核心なのです。


                        
2007.12.

上下型一種と云うのは世間から隔絶された環境でも、
何の苦もなく生きてゆけるものだとつくづく思います。
就任後半年をゆうに通り越して、この人の民意との
遊離は20里で足りないくらいの激しい隔たりがあります
が、どうやら本人はまったく気にならないようです。
前首相であつた安倍元総理の隔絶ぶりともちょっと
違います。
安倍さんはまだ、世間の評価が気になるようで何とか
受けを狙ってもいたのですが、勘違い、思い違いが
激しくて自分の中に閉じこもってゆく経過を辿ったの
です。
福田総理の言外には「君たちは判ってないな」と云う
世間から見ると『他人事(ひとごと)』のようにしか聞こ
えない「客観性」が防御カーテンのようにすっぽり包ん
でいるようです。
この「君たちは判ってないな」と云う感覚が、一種に
とっては自分自身を保ち続ける最強の鎧と言えるの
です。

                         2008.7.




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             A実行と冷徹と。小泉元首相

 



 小泉元首相
































体癖と云うものは一つの型と云うことはなく、
幾つかの体癖が混じって同居しているものです。


前後型五種体癖
捻れ型八種体癖閉型九種体癖
の混合した体癖のこの人は、短く分かりやすいフレーズの
言い切りで、人の心を掴みました。
これは、ある意味で「はったり」なのです。
核心を持って、意図的に短い言葉に短縮しているのでは
なく、感性として、このような言い切りのはったりが自分を
高揚させるためにも、つい出てしまうのです。
これは八種的な感受性です。
八種は細かく考えを廻らせませんから、いかにも確信が
あるような強い言葉を、ぽっと火を吐くように使うのが
好きなのです。
「織田信長」は五種九種ではないかと考えられますが、
目的のためには冷酷非情な振る舞いでも、戸惑いなく
決行できるのです。周りの人間が躊躇したり、諌めたり
する言葉には耳もくれないこの冷たさ、激しさは
調和を目指すことよりは、現状を破壊し、物事を良し悪し
に関係なく、新たな段階に力づくで進めることに適して
います。
この人の行動の中にもこの非情さがあちこちよく出て
います。今になって少しづつこの人の言っていた「痛み」
の実態が現実となって判ってきましたが、アメリカ型の
格付け能力社会の矛盾がこの国を苦しめています。
五種の合理性に九種の何事も極めようとする限界性が
交じり合うと、このように温かみのない行為がこの世界に
噴出されます。歴史的な何らかの意味はあるはずなの
ですが、かなりの人が迷惑をこうむるのです。

この人にはもう一つ、二種体癖が裏にあり、めったに表面
には出ませんが、ある局面に至ると最終的な判断や行動
に、ひょっくり顔を出します。
最初、ヨイショをしたり褒め上げたり、従者かと思えるような
行動をしていたものが、さっと最終的に裏切ることが
やがてあるのです。

                          2008.6.


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  B立っているだけでも元気になるのか!?

地方の平均的な都市であろうこの町の学校は、小学校であろう
が中学校であろうが、子供たちの足で登下校に数十分かかる
距離がある。
そこで小中学生の登校の交通指導に学校PTAや町内自治会
などから選任された子供たちの母親、父親、おじいさん、
おばあさん世代の大人が街頭に立って、毎朝、横断歩道での
子供たちの通行を助けている。
中には交通安全協会のOBだろうかと思われる方たちが見事な
指導を展開したりしている。
ある朝、いつものように交差点での子供たちの通行風景を
信号待ちで車中からぼんやり眺めていると、
横断歩道から数メートル前方に30度位に「くの字」に反り返った
人形のようなものが立っている。
何だろう、交通安全キャンペーンのキャラクター人形かなと
思ったが、随分と年寄りのキャラクターである。
妙だなと思ったが、信号が変わったのでそろそろと進んでゆくと
どうも人形ではなく、生きた爺さんのようである。
しまった、見間違えたかと一瞬自分の判断を恥じたが、
この爺さん、交通指導の黄色いベストなどを着込んで明らかに
子供たちの通行保護に来ているであろうに、
まったくあさっての方角を向いている。
顔色は悪く、表情に動きがない、「くの字」に反り返っている
ところから腰椎5番が引っ込んで可動性を失っているだろう
から、立っているだけでも大変なんだろうなと思うが、
何であんなに離れたところに立って、さも関係なさそうに
そっぽを向いているのだろうといぶかしんだ。
それから、毎日毎日よくよく注意してみるとこのお爺さん、
雨の日でも風の日でも横断歩道から遠く離れて、どこか向こうの
方を眺めて、反り返って立っている。
義務なんで来ているのだろうか?
町内自治会で「伊藤さん、(名前は予想)早起きして歩いていく
だけでも元気になるんね、続けるっちゅうのが大事なんだから」
とか何とか言われて嫌々ながら来ているんだろうかと
色々に考えなくてもいいのに気になって思いを廻らせるので
ある。
交通指導の立場からするとまったく用をなしていないお爺さん
ではあるけれど、半年を過ぎて、年が明け、
正月休み明けのとある朝、何となくうきうきした明るさに
包まれた中を、子供たちが清々した表情でいつものように
交差点を列をなして渡っていると、
横断歩道のちょっと離れた場所でこちらを向いてニコニコして
いる老人がいる、
くの字に反り返って、腰に手を添えて、しかしニコニコして
別に何をするわけでもないけれど、子供たちに微笑みかけて
いるお爺さんがそこにいるのである、
な、なんと!とびっくりしたものである。
人は立っているだけでも元気になるものかと、
最初は嫌々だったろうけれど、途中からはたぶん、自分で
期するところがあったのだろう、とにかく行けるときは
出来るだけ行くと、続けた結果がこの表情を生んだ訳である。
顔の筋肉が動き、表情が出ると云うのは、腰が多少なりとも
緩んで、骨盤の動きがちょっと出てきたと云うコトである。
確かに相変わらず、反り返ってはいるけれど何となく、
腰あたりがスッとした感じがある、
人は立っているだけでも元気になるのである。

このお爺さん、最近はまたどこかあさっての方向を見て
何の用もなせない場所に立っているのだが、立っている姿が
何か力強さをもって堂々としているこの頃である。


                                2008.10.


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   Cしなる腕!錦織 圭

この一年で飛躍的な成長を遂げたテニスの
錦織 圭、「エアケイ」の愛称とともに全米、
有明の全日本オープンでの活躍と、鮮烈な
印象を私たちに与えました。
彼の大きな特徴の一つに、しなるような腕の
振りによるフォアショットがあります。
肘より少し上の上腕筋に中心点をもった力点
が肩から肘、腕と振りぬけてしなりながら
ラケットと一体化した非常に柔らかい手首に
伝わり、精妙にコントロールされたショットに
打ち込まれます。
彼は、五種九種でしょう。
五種九種と云うと孫悟空を想起しますが、
力の塊のような孫悟空タイプとちょっと違う
感じを受けるのは、彼にはそのどこか飄々
とした表情から察せられる、上下型が混ざ
っているためだと思われます。
五種九種の感じが最もよく現れていたのが
勝ち進んでいた1回戦、2回戦の彼のショット
です。
腕を振る動作と同時に腰椎の5番の外側の
椎側あたりに、上体の腕の振りの運動と拮抗
する力点が生まれ、ラケットを振り切るあたり
で、力点が腰椎4番に上がってゆく、振り
切ってしまうあたりで腰椎1番に抜け、この時
腕の振りに引っ張られるように身体が宙に
浮くのです。
決して、ジャンプして打っているのではなく、
打ち抜く反動で、身体が空中に引っ張られ
ていると云うのが彼の特徴です。
先ほどの5、4番から1番に抜ける力点の
動線がこの特徴的な動きを生んでいるの
です。
有明の3回戦ではまるで、前日までとは別人
のようなミスショットを連発して、完敗してしま
いましたが、この時、彼の腰部の左側は全く
動きを失っておりました。
右の5番、4番あたりにぴーっと緊張が走る
のみで左の失調が、腕の振りとのバランスを
崩させ、微妙なショットコントロールを狂わせ
ていたのです。
その後、欧州のツアーに出て、右膝の痛み
が悪化して、彼は今季の出場をあきらめ、
休養をとることになりましたが、
右膝の痛みと云うのは、左が動かないことに
よる片側の酷使によるものです。
また、有明の3回戦で彼の右腕の手首の
太さに眼がゆきましたが、手首の関節が拡が
り、疲労がピークだったのでしょう、抜けない
まま片側のみ使うという運動の歪性が右膝痛
を作っています。
根本は左腰部と背筋部の失調を修正しない
となかなか回復できません。
一連の身体の動きや失調も本人には感じら
れないと云うコトが厄介なところで、
本人は身体全体の疲労感と右の膝痛しか
感じられないのです。
左が蓄積疲労で動きを失うと云う点と右手首
の疲労をちょこちょこ、そのつど抜いておくと
云う身体のメンテナンスを覚えていくと彼は
さらにその才能を伸ばしてゆくはずです。

                     2009.2.


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D神妙にしかし、よどみなく…鳩山総理


首相となったこの人は、その物腰の柔らか
さが、就任後、存外好感をもたれている。

言葉数が多い割りに、意味不明であると
揶揄されていますが、その丁寧な物言いは
おおむね、好意的に捉えられています。

上下型二種のこの人は、
言葉を選び、発言しようと頚椎をグッと
緊張させて、話し始めるのです。
そのため、あごを引いて、ちょっと目線が
上の方向に上がります。
首の後ろのあたりに力を入れていますから
話すときは、下唇だけが動くように見えます

人形のようですが、首が弛まない状態では
上唇もともに、アクティブには動かないの
です。
また、目線も上目で、左右振り向く事もない
ため、非常に静かな物腰と受け取られる
のです。
上下一種とは異なり、頭を無駄に回転させ
るきらいがあるため、
言葉が出てくるのが遅いのです。
また、言葉尻や前置きに余分なものが
たくさんくっ付いて出てきます。

しかし、それが逆に真摯な感じを、
かもしてもいるのです。

首相となって、野党時代の頼りなく感じられ
ていたものが、不思議と「柔らかさ」と
受け取られるようになりました。

この人の中に前後型六種があるのです。

ハンガーを入れたまま、着ているのでは?
と思われるほど、肩が張って見えます。
元気が無くなると、この肩が前にせり出し、
前方に巻いてくるのですが、
今は、意気軒昂、弱い呼吸器を旺盛に
最大限に張り切って使おうと身体が
意図していますから、上がりすぎるくらい
肩が張り、反り返るくらいなのです。

しかし、銅像の張子を着ているように
上体が固まって、動かないので、
そろそろと静かに動くしかないし、無理に
動的になろうとパフォーマンスをすれば
変なフランケンの踊りのように、なって
しまうのです。

今のところ、六種の「現実逃避」の傾向は
薄く、せいぜいロマンチックな理想主義的
な部分がちらほら見え隠れしているだけ
ですから、皆に不安を与えるまでには
いたっていません。
「友愛」と云う指針は、六種にとっては
真面目な、極めて現実的で、手にとって
つかめる目標なのです。

日常と非日常の境界に往き来しながら
夢想によって、元気を取り戻す六種は
けだし、神話的な「死と再生」と云う
物語を現実と出来る唯一の体癖です。

現実とする力を持った体癖の助力があれ
ば、この時勢に極めて適任だとも言える
のです。


                  2009.11.



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E人は、分かりあえるのか。


「老」と云うものは、面白い。
人は老いることで完成されてゆく、と云うよりは
老いることにより、ますます「偏向」してゆく。
人間的な偏りがますます強調されてゆく、
と云う感じである。
性格的にも、身体の動きにしても、
偏りは強調され、融通性は失われ、自分を
丸出しにするしかなくなる、
丸出しが楽であり、唯一心地良さが残る
生命活動なのである。

何をどう感じ、それをどのように表現するか、
この「感受性の方向」と云うものが、
どのような身体を持っているかによって、
決まっていると云うのが、「体癖」と云うものの
人間の観方である。

人は歳を重ねれば、重ねるほど、より持ち味の
「体癖」傾向が濃くなってゆく。

2種の奥さんを持った亭主は、その奥方の
心配性に手を焼くのであり、彼が受容性の
持ち合わせのない体癖であったなら、
すぐにDVや虐待に発展していってしまうで
あろうし、受容性のみの体癖だとしたら、
同じように身体を壊しつつ、疲弊してゆくのである。
2種の「心配」は、実体のない、解決のつかない
暗い夜の沼地のような、底無しであるからだ。


先日、聞いた実に興味深い話しがある。

その人たちは、夜間の受付事務の仕事を
生業とする人たちである。
夕方から翌朝までの勤務であるから、
男性で、しかも老年の人たちが多い。

その人Nさんは、この仕事について一年少々の
新人である。
そのため、年齢は比較的年長の方ではある
けれど、五年、七年の先輩方に気を使っている。
5種捻れであるこの人は、60歳に近い年齢と
云うけれど、背が高く、まだ見事な筋肉を
持ち合わせている。

入社して慣れない事務仕事を続けていたら、
腕が上がらなくなった、
そこで、彼がとった行動は上がらない腕を
徐々に、筋肉に負荷を与えるように上げてゆく、
少々の痛みは我慢しながら無理を強いて挙げると
云う対症方法であった。
一昔前の?といえるような筋トレに近い処方で
あるが、
それで、五十肩ともいえる症状を治してしまった。

明るく、誰とでもコミュニケーションをすぐその場で
作ってしまう、いかにも5種と云う風情の人である。
合理的であり、効率性を図る仕事の進め方である、
実際、そのように人に勧めてくる。

しかし、面倒くさがりやでもあり、効率的に不要と
思うものは、手を抜き、省く癖がある。

この人のいい加減さを見抜いているのが、
もう一人の主役であるYさんである。

Yさんは五、六年のキャリアを持つ、年齢的には
Nさんより年下であるが、独特の観察力と見聞で
どんな人に対しても、きわめて鋭い寸評を下せる人
なのである。
9種のこの人は、しかしあまり人を誉めたことがない。
たいていが悪くこき下ろすのである。
多少、誇張されて極端化されてはいるけれど、
どれも、本質を突いているので、そこが困ったところ
でもある。
多くの人はつつかれたくないトコロをつつかれるので
この人が、煙たいし、何故か緊張させられる。

話しは、でも面白い。
人が気がつかないところ、うっかり見逃すような
取るに足りないと思える位置から、ビックリするような
指摘をしてくる。
その連想の結ばれ方、速さ、深度が並ではない
のである。

このような9種からすると、Nさんのような5種傾向の
人は、まったく薄っぺらな底の浅い、信用が置けない
人にしか映らないのである。

深夜勤務は、受付事務の空いた時間帯に交代で、
仮眠を取れることになっている。
仮眠はその日の状況で、当人たちの按配に任せられる。

Nさん、Yさんが組んで当番となる日は、
「Yさんは寝てくれないんですよ。なんでか…、こちらから
仮眠を言い出せないし。」と、
Nさんは、さも自分を寝かせないようにしているかのように
言うのである。
自分のことを適当でいい加減であると、批判的に思われ
ていることを、ある程度、肌で感じ取っているから
Yさんが、手を抜けばどんどん手を抜きかねない自分に
対し、予防線を張っているのだと、Nさんは思うのである。

ところが、
Yさんは「Nさんは寝ないね。ずっと喋っているよ。
喋っていると、どんどん熱くなって…、面白いよ。」
と言う。
Yさんは、なかなか面白いし、つい付き合ってしまって
寝そびれてしまうと云うのである。

これは、まったく驚きの言い分のくい違いである。
二人とも、こんなことで嘘を言う必要がないのであるから、
感じているままを話している。

お互い、寝ない、寝させないと固く思い込んでいる
のである。


人が人を理解するとは、かくも困難な事なのだろうか!?
理解しようと云う事にさえ、無頓着な体癖もあることだし、
分かり合って、協調してなどと云うことは、所詮、幻想に
すぎないものなのだろうか…。

実は、コミュニケーションは「理解する」などと云う
意識的なレベルでは、ほんの1〜2割程度にしか
図れないのである。
もうひとつの系統、コミュニケーションのほとんどに深く
かかわり、決定づけているものが、
無意識の動きなのである。

言葉ではなく、どう認めているかの方向性、志向性が
相手の無意識レベルにつながってゆく。

この無意識レベルの方向性こそ、体癖と云うものの
感受性の方向性と一致する。

私たちは、お互いのお喋りや指示、受任などの言葉の
やりとりで、つながるのではなく、お喋りの裏側で
うごめき、連想されたイメージと不可解な相手の言葉の
切れ端によって、お互いを絡ませているのである。



                        2010.5.


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 F日本の顔!?豊田彰男社長


この人の顔を最初、報道写真で見て
びっくりしました。
 
ある意味、現代日本を代表する顔!!
日本のオタク顔そのものである。
 
オタクと云うのは、6種に2種か、3種が
混じっているのが
常道なのだが。
豊田氏は、6種2種に8種捻れも入っている。
 
例の口を「への字」に曲げた報道写真は、
特に印象的である。
動画で、今回例のリコール問題に対する
社長、副社長の会見と云うものを見てみる
と。
 
すると、最初、頚椎2番を緊張させる上下2種
体勢で出番を待っている豊田氏。
いよいよ、会見になって話し始める直前に、
例のあの写真の「への字」に口を曲げてから、
話しを始めています。
これは、「への字」に口を曲げることでC2の
集中点を
頚椎6に下ろしているのです。
 
C6は捻れ8種の力点ですから、
会見に臨んで、負けまいと捻れに移行したん
ですね。
 
そのようにして、しかしよほど、張り切って
強い口調で会見がなされるのかと思えば、
さにあらず、抑揚のない棒読みで
おどおどした会見がひとしきりなされます。
 
会見が終わって、「技術的な詳細は副社長
のほうから。」
と言って、椅子に腰をおろすと
大きく肩を上げながら息を吸って、ほうと
肩を下ろして息を吐いている。
 
びっくりしたのは、
この後、すっかり顔が開型10種上下2種の
顔に
なっている。
 
なかなか面白いなと思いました。
 
この人は、あれほど捻れながら
挑んだ会見なのに、実際は話し始めると同時
沈んで話している。
話せば話すほどに沈んで、6種を帯びている。
 
つまりは、ボディは開型2種で、エンジンは6種
時々つついて発破をかけるオイルが捻れ8種
で、サスペンションかトランクかに3種が隠れて
いる。
 
左右3種は、普段よく見受けられる体癖だろう
けれど
たぶん、仮の姿で
これは、L3の捻れとL1の2種の絡みで出て
くる
体勢なのではないかと考えるのです。


                        2010.9.


                            身体気法会TOPに戻る↑

 




 








 
























































































                             
 G“ぐだぐだ”と“力の理論” 菅と小沢


今、まさに世間の耳目を集めている二人。
この国の将来が決まってしまうので、関心を
持たざるを得ないとも言えるが…

もう長いこと、このお二人の顔と付き合って
いるように思える。

小沢氏の印象はあまり変わらないが、菅氏
の相貌は、ずいぶんと変わったと、ある種の
隔世の感がある。
現首相である菅氏は、首相になってます
ます、かつての新世代のリーダーと云う
清新な面影が感じられない。

世論的に評判の悪かった消費税論議を
何故、この人はあのタイミングで出してきた
のだろう?

この人は5種である。。

捻れが混じり、左右さえ入って居るのかなと
思えるが、
腰椎5番の力が抜けるにつけ、
ぼや−とカスミが掛かったかのような眼差し
になった。
この自信のなさが、目先にちらついた誤算
を捉まえさせたのだといえる。
環境がガラッと変わって、5種的な計算高さ
と新らし物好きとシステム好きが、
官僚主導の航路にぐっと舵を切らせたとも
言える。

この人の腰椎5番は、現在ぐだぐだであろう
本来、5番を元気付けていた腰椎3番が
ねじ切れてしまったようで、捻れの力が出
ない、
3番の硬張りに引きづられるように腰椎2番
がくっ付いてしまってるであろうため、
この人の今の相貌の印象は、中華料理店
のオヤジさん風情なのである。

この人を、復活させるには、まず腰椎3番
に力が集まるようにすることである。

がっと捻れるような対抗馬が必要なので
ある。
しかし、党外においては、もうひとつの保守
が、あまりにもふがいないため、とことん
追い詰めて対抗しうる相手が居ない!

これが、今のこの人の不幸なのである。
逃げの5種になって、打算で動くしか幅が
なくなってしまう所以である。


小沢氏は、誰が考えても捻れである。
捻れ8種であろう。

しかし、いまひとつ判りにくい何かがある。
菅さんもそうだが、どうもモヤモヤして掴み
づらい処がこの二人の共通するところだ。

この人には、8種に上下2種的なものが
混じっている感じがある。
そこに、左右的なもの。

捻れ型と云うと、捻れの大将みたいな、
本当に何処から何処までも捻れ!って云う
人が、かつての政治家に居たが、
この人の印象は、それに比べ、かなり薄い
むき出しの大仰さ、丸出しのけんか腰、
と云うものが、いまひとつ、迫力に欠ける。

この人の腰椎3番はかくも、腰椎1番にコン
トロールされていると云うことだろうか、
捻れにしては、珍しくこの人は道筋を立て
られる、立つように思う、らしく
ある種の計画性があるのである。

とはいえ、捻れなので、体系的で最終結果
まで考えが及ぶかと云うと、そうはいかない
のである。

この人にとって、ある種の政策はどんな状況
になろうが、世間から何と指弾されようが、
完璧に達成出来る物なのである。

それは、上に立って指示するものが絶対的
な力を行使すれば、それですべてが解決
されると、当たり前のように思うためである。

指示する者、権力が事務を動かすので
あって、どうすればよいのか、方法を考える
のは、優秀な頭脳をもった官僚方なので
ある。

今現在、どんなに不可能に近い算段でも
人間は、考えようと思えば、どんな困難な
問題にでも、答えは見つけられるのだと、
まったく無責任に確信しているのである。

それこそ、優秀な人材を選りに選って、
選び抜かれた官僚諸子に出来ぬはずは
ない、さぼっとるなっ!!と云うわけである。

この人の、人前に出ての姿には、時々
頭が回りきらないのかな?と、感じる場面
が多々ある。
これは、3番に2番がくっ付いて、影響を
与えているのだろう。
左右4種の、人目を気にしての頭の動き
づらさが、からみつくように表に出るので
ある。

4種の包み隠し癖が、権力を持ってなお、
たびたび出るようであると、
かなり、困った事態ではある。
理解されにくい、理解しにくいのがこの人の
急所となるのである。



                  2010.9.















 
 前後型5種

呼吸器を存分に動か
すと、力が発揮出来るタイプ。合理的で、明るいが、何事も打算的に振舞う習癖がある









 捻れ型8種

対立する相手を作ることで、力を発揮する困ったタイプ。あらゆることにケンカ腰でのぞむ


 左右型3種

消化器が旺盛に働くタイプ。感情的だが、おう揚でもあり、人なつこさと我がまま両面を併せ持つ














 上下型2種

意味なく頭が忙しく、弛まないタイプ。心配事が次々生まれ、それを次から次、訴え始める。






 左右型4種

緊張が亢まると消化器が働かなくなるタイプ。感情が退行し、控え目を超えて自虐的にさえなり無表情で色がなくなる















  

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H村上春樹とは、何者なのか!?

 
村上春樹とは誰なのか?
何故、世界が彼を読み続けるのか?
本人の露出度が少なかったせいもあり、
この人はひとつの現代の謎である。

ひとりでポツンと
書いているようでもあり、世界的文学賞に
秋波を送っているようでもあり、その内容
の意外な軽量感に何故、この人のこの作品
が?と、
疑問符が付いたりもするのであるけれど…

しかし、読み進むうちにその設えシツラエ
や、物語の旅支度に用意された備品の
数々に圧倒されてマゴマゴしているうちに
いつのまにか、夢の欲求の一致と物語が
不可思議に連関して既定値に落ち着く様
が、この予定調和が妙に心地良いのに
驚かされるのである


けだし、
この人の立ち位置は、何はともあれ
時代の旗手☆である。

この人の誕生は、世界の創造活動が、
衛星的創造に移り変わったことを
意味している。

衛星的創造とは、何かと云うと
本物にひたすら近づきたいが、どうしても
本物になりきれない。
圧倒的なオリジナルの座に常に
憧れ続けながら、なおどうしても、その
台座のヘリにさえ、指の先っぽも引っ掛け
られない無力感を抱きながらも、
本物の周りをぐるぐる回り続ける活動を
指している。

村上春樹は、石川淳にも埴谷雄高にも
なれないし、大江健三郎にもあと一歩で
近づけないのである。
(大江健三郎は自己分裂してしまうが)


この人の作品世界は一見、上下5種
雰囲気に満ちている。

あまり、メジャーではないが、
知っている人は知っている、
おっ!いいね、と云うような小物や
道具立てをそこまでやるか!と云うくらい
そこかしこ、ちりばめている。しかもブランド
ネーム入りで!!

気の利いたブランド品、音楽、家具、
主人公とともに装われてゆく環境は、
やるじゃない!と、知っている人は思うし
知らない人は、その知的でおしゃれな感じ
に、憧れを抱かずにいられない。

このちょっと知的で、エスタブリッシュメント
的な生活!この味わい、匂いは
そう、確かにアメリカ的である。

5種文化の殿堂、アメリカの世界なので
ある。

ところが、この人の作品世界にかかる靄の
ようなもの、主人公の頼りなさ、心もとなさ
には、6種の影がちらつく。

物語はやがて、必ずパックリ口をあけた
異世界に紛れ込んでゆくし、異界からの
帰還、死と再生が作品の基調になって
いる。

と…なれば、紛れもなく6種の世界だが
どうも、この人の作品は影が不足である。
圧倒的に憂鬱な、悲嘆の影が薄いので
ある。

まったく謎である。
この人は…。
5種とも6種ともどちらでもあると、言えなく
はないのだ。

と、考えあぐねているうち
本屋でつい最近の刊行のエッセイ本を
見つけた。
珍しく、本人のプライベートなポートレート
写真が載せられている。
余暇の休日を過ごしている、いかにも
くつろいだ雰囲気の写真だ。

コレを見て、びっくりしたのである。
それはまさに6種顔!!
1種8種が混じった6種のアゴである。
剃りたての頬の青々したアゴなのである
!!


この人の物語の組み立ては、上下1種的
な細部のこだわり、言葉のこだわりから
順に積み上げられている。
路線と云うものがあり、一駅も飛び越える
ことなく、通過しなければいけないので
ある。
随所に散りばめられる巧みな比ゆも、
通過しなければいけない駅なのである。

ここに、5種的な趣味が絡められている
ので、惑わせるのである。


けれど、それも中途で何故か必ず、
飛躍した展開をみせて、いきなり異界に
放り込まれるのである。
ここが、6種の面目躍如たるところなので
あろうか…。

この飛躍に、この考えられないぶっ飛び
ように、8種的なちょっかいが絡んでいる
とも言えるのである。

考えれば、考えるほど実に興味深い
人物である。



 ★村上春樹!それは、
  用意された快感と求めて得る
          充足の差異なのだ!


                  2011.3.
 前後型5種

呼吸器を存分に動か
すと、力が発揮出来るタイプ。合理的で、明るいが、何事も打算的に振舞う習癖がある


 前後型6種

呼吸器をゴク省力的に使いながら情熱を裡に秘めるタイプ。幻想と憂鬱と非日常にややもすると耽ってしまう。
















 上下型1種

頭を使うことがこの
タイプの日常生活な
ので、考える事に苦
はなく疲労感も鈍い
規律や善悪と云う感
覚を唯一持っている
タイプといえる。




 捻れ型8種

対立する相手を作ることで、力を発揮する困ったタイプ。あらゆることにケンカ腰でのぞむ

































































                               身体気法会TOPに戻る↑

   



 

筆者が、10代の時に製作
した 宮澤賢治塑像




















 



















































I助手と六種とゴーシュ
           〜宮沢賢治の世界

 
助手気質と云うものがある。

一人前になっても、助手みたいに思われ
また、ややもすると自分でも助手的に
ふるまって、あれこれ裏方に専念して
しまうのである

ドカンと中心に座って、細かな事は
いっさい周りに任せ、伺いを立てられた
コトのみ、ああ、良いよ…、と一言で
済ませられれば、良いのだが
何だかアレコレこうしなきゃ、こうした方が
と、気が回りすぎるのである。

助手の心性は、ある対象には絶対的に
真摯で素直であると云うコトであり、
帰依してやまない心を常に持ち続けて
いるコトである。


ある種、少年性を保ち続けると云うコト
でもあり、永遠の少年気質と云うものは
永遠の未完成感、未成熟感から由来する

それは、帰依した対象が、完全である!
と云う無力感から来るのであり、
いわば、完全であると云うコトを、
絶対者に奪われてしまった状態なので
ある。


宮澤賢治の童話は、賢治の六種性と云う
傾向と切り離せない世界だ。

太宰治のぐじゅぐじゅした六種性と違い
賢治の六種性は主に、この少年性、
助手的気質と云うものによく現れている


賢治の最も六種的な情緒が表れている
作品に「よだかの星」がある。

あまりに弱弱しくて、悲しいくらい世間から
遠く、ヨケイモノ感が強くて、マイナス志向
の極地のような「よだか」…、

会うもの、合うもの、ことごとく苛められ
悲哀と焦燥に充ちてゆくのだが、
こんなオドオドしたヤツは、ちょっと意地悪
したくなるのさ、と云うくらいの
よだかを取り巻く生き物たちは、つまりは
さほどの悪気が無かったりとも思われる

よだかは、自分で自分を苦しめる、
被害者感がどんな些細な事からも
ドンドンつのってゆくのである。

「よだかの星}はこんな具合になんとも
切なく、やり切れなさから抜け出せない
印象が作品の最後まで続く。


「双子の星」のチュンセ童子、ポウセ童子
二人の主人公は、少年性とやわさがよく
表われた作品で、童子は永遠の弟子的
であり、小僧さんのようでもあり、いかにも
しっかりした小さな書生さんのようでもある

二人をだましたり、意地悪したりするサソリ
やホウキ星は、助手的六種を毛嫌いする
捻れ八種的な登場人物であるけれど、
計略でもってだます辺りは、5種八種的
ともいえるが、5種八種は角度によっては
助手的六種が案外、大好きでもあるのだ

賢治の童話には、よくこのような乱暴な
意地悪な、横暴の凝縮したようなキャラ
が、必ず登場するが、実はこれは賢治の
中にある捻れ八種の表明なのである。

賢治の八種には、上下1種が付き添うよ
うに、絡んでいるが、上下1種が動くと
5種的傾向も、ちょっと顔を出すのである。

少し、複雑である。

「セロ弾きのゴーシュ」は、この助手的六種
の主人公、ゴーシュが自分の未熟さを
打たれ、泣きながらも一人、完全さの象徴
であるチェロと奮闘するお話しだけど、
やがて毎日訪れる生き物たちと交感し合う
ことで、少しづつ克服してゆくのだが、
この生き物たちとのやり取りが、横暴で
意地悪な5種八種の、まさにソレなので
非常に面白い。

ゴーシュの中の六種性が、八種捻れの
腰椎3番が動く事で、5種化けするので
ある。

これは、宮澤賢治その人の心性の、動き
そのものとも言えるのだ。


賢治の中の上下1種性は、1種が主導する
事で、六種の心性を引き連れて
やがて「鹿踊りのはじまり」や「なめとこ山の
熊」と云う傑作に昇華してゆくのである。



 ※文中の何種ナニナニと云うのは、
   体癖です。
   体癖論はコチラをご参照下さい。


                  2011.10.












 前後型6種

呼吸器をゴク省力的に使いながら情熱を裡に秘めるタイプ。幻想と憂鬱と非日常にややもすると耽ってしまう。















 上下型1種

頭を使うことがこのタイプの日常生活なので、考える事
に苦はなく疲労感
も鈍い規律や善悪と云う感覚を唯一
持っている
タイプといえる。

 捻れ型8種

対立する相手を作ることで、力を発揮する困ったタイプ。あらゆることにケンカ腰でのぞむ










































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J本隆明は特異な位置の住人

 
吉本隆明が、この世界から去っていった。
戦後日本の思想界に常に揺るぎない輝きを
保ち続けた巨星であった。

しかし、この人の立ち位置は非常に特異な
位置にある。
それは、とても日本的なものだといえるのだ。

この人は1種6種である。
そこに8種捻れが絡んでくる。
上下は1種なのか、2種なのか判然としない
部分もあるが、晩年の論点のズレは、1種と考えにくい部分もある。
しかし、新し物好きで、すり抜けがうまく、
へそ曲がりでもあるところは、5種的なもの
が、絡んでいる感じもある。
6種の体勢的な5種化けであろうか、、、


この人の幻想論は、きわめて面白い。

対幻想は、フロイト的な性的情動に特化
しているため、骨子である共同幻想論の
土台が脆弱になってしまってる。

けれど、ここに構造された幻想論は、
意識の彫琢が、無意識の混濁の海から
どのように形成されるのか、多くの示唆を
提示している。











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