共鳴しあう身体


 
 ●同調すること、ヒビキの波が振れ合い、擦りり合わせられること
 ●身体の内側から考える
 ●同調と感応と身体の智恵と云うこと
   ―猿の枝渡り
   ―感応する




 同調すること、ヒビキの波が振れ合い、擦り合わせられること


 ここで云う共鳴とは、身体が他の身体の状態や振る舞いに同調して、

 同じような現象、状態を呈することを言います。

 共鳴は、知らず知らずの内にいつの間にか起こっているもので、

 身体にとどまらず、心理的な面にも影響されます。

 たとえば、ある人がある異性を好ましいと感じたとします。

 同じ職場なり、環境に毎日顔を合わせる状況なので、

 しだいにこの感情が募っていったとしまして、ある時その異性が

 非常に自分によく似た物言いをしているということに気付きます。

 するともう俄かにこの人もきっと自分のことに気があるに違いないんだと

 思ってしまうのです。やったねっと思うと、ますます相手の行動が自分に

 より近づいたものに思えるものです。一つ一つの行動が自分に対するサインのように

 受け取れ、毎日夢のように楽しい日々が続くのですが、

 ある時この異性が、自分以外の別の人に非常によく似たしぐさをすることに

 気が付きます。何だと思って最初、嫉妬のような憤慨を感じるのですが、

 やがて、他の誰もがその別の人のしぐさによく似た行動をとることを発見します。

 すると自分の口ぶりの癖も他の多くの人が使っていることにも気が付くのです。

 環境を同じくする集団が非常によく似た印象を持っていることは日常において

 よく感じられることです。

 兄弟のような夫婦とか、どう見ても似ているご主人とペットとか

 生き物は知らず知らずに、影響しあい、同調して共鳴しているものなのです。

 あくびが伝染するとか、ふと見た先の見知らぬ人がこちらを振り向いているなど、

 身体がまず何らかの信号を感じ取り、即応することが日常においても

 しばしば起こっていることです。

 身体的な何らかのサービスを行なう人の多くは、施療することで、

 自分の身体に、ある違和感、異常感が生まれることを経験します。

 その人から離れてしまうと消えてしまうこの異常感は、

 相手の身体の異常感であるとやがて気づくのですが、これは共鳴の第一段階です。

 この時点では、まだ一方通行で相手の身体の状況をトレースしているだけです。

 同調しているだけの段階なのです。

 そのため、受け手側の心理的要因が加味されると、相手の異常が自分自身の身体に

 移ったような状態になることもあります。

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 身体の内側から考える


 共鳴による整体法と云うものを確立されている方に、『身がまま整体』の片山洋二郎さんと

 云う方がいらっしゃいます。

 片山さんは、身体共鳴を身体コミュニケーションと位置づけて、日常気づかぬうちに

 同調、反発し合いながら身体間のやりとりがなされていることに、そこからお互いの位相を

 調整しあうことも可能であると考えています。

 お互い元気をもらったり、息苦しさを共有したりの身体コミュニケーションは、

 現代においては過剰な情報にさらされ、閉塞的でお互いの距離感をとりづらい

 息の詰まる関係に陥りやすくなっております。

 身体が環境から得ている情報量と云うものは、意識できるものを、はるかに超えていて、

 街頭照明の明滅も、氾濫する店内BGMの細かな振動も身体の微細な細胞を震わし、

 常に非常時のような緊張感を強いているのです。

 そのような持続的な緊張状態が現代の身体、過換気症候群やパニック障害などの呼吸器系の

 異常を引き起こしています。

 片山さんは著書で、その辺の事情を明確に解き明かしておりますが、

 現代の身体、特に若い『からだ』が気配を読めなかったり、外環境との接触を断っているかの

 ような行動をすることには、過緊張の身体反応としての防衛本能ともいえるのです。

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 同調と感応と、身体の智恵と云うこと


 「ミラーニューロン」という脳神経反応があります。

 ラマチャンドランと云う人とそのチームが発見したこのこの特異な反応は、

 脳による「ふり」行動と脳科学者、茂木健一郎氏はその著書で紹介しています。

 全くの偶然の発見からなる「ミラーニューロン」とは、実験動物の前頭葉の一部が、

 他者のある行為に反応して、当人は行動していないのに、行動しているのと全く同じ

 脳神経反応を引き起こす状態を指摘しているのですが、これは「ふり」と云うより、

 同調と考えるべきだと思えます。

 あるいは、「感応」です。

 当人は「ふり」をしている訳ではなく、まったく気づかぬままに同じ体勢をとっている状態だと

 云うことなのです。

 脳が視覚や聴覚、臭覚神経からの信号を受け、(身体感受と云えるので、身体全体からの

 信号と
捉えた方が実感には近いのですが)

 ふとイメージされた感覚が(この時点では意識には昇ってはいません)脊椎神経を

 あっという間に伝わり
、身体の志向体勢(前行動体勢)を作り出している状態といえます。

 脳が鏡面化していると同時に身体も鏡体化していると云う感じです。

 この状態を、整体に於いては感応といい、同調による身体共鳴ともいいます。

 ミラーニューロンは、脳による「ふり」ですから整体的な感応状態のようなある集注を伴う、

 脳がイメージ化する必要ありと瞬時に判断した対象以外の鏡面状態であるといえ、、

 この場合、身体化、意識化しないままに無意識のストック化がなされているのではと思います。

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 猿の枝渡り


 身体の同調とは何なのかと云う問題について、
少し視点をずらしてご説明すると、

 喩えば猿が木から木に飛び移り、空間移動する際に、猿の枝渡り

 猿は、飛び移りながら自分の身体の跳躍感、躍動感と云うものを感じながら、

 飛んでいるわけで、
身体のしなりと云うものに、ある快感を感じていると思うのです。

 (調子の良い、悪いも感じていると
思います。)

 あるいは、快感を得るように、わざわざ難しい少し遠目の木を選ぶかもしれない。

 この判断は、身体の要求によるものなので、猿自身が向上心をもって、

 挑戦しているわけではないのですが。

 この時、中継する木の枝は、猿が手か足で掴んだとたんに激しく「しなって」、

 彼の身体運動に影響を与えるわけです。

 ここで、猿は学習しているはずなのです。

 木の枝ぶり、太さや木の種類による感覚の違いを、自分の身体に返ってくる

 しなりの運動から、感得しているに
違いないのです。

 それも一瞬に。

 意思を持って、数パターン比較してなどと云う、

 いかにも人間的な、意識的な学習では勿論ありません。

 やがて、木の枝のしなりと身体のしなりの最高のバランス化、統合が

 次の枝へ移動するイメージとしての動線をつくりだし、

 彼のまったく無駄のない美しく、見事な動きとなってゆく訳です。

 ここで、木の枝は、完全に彼の中で、腕の延長としてあり、

 身体の躍動感をさらに強める経緯としてあります。

 どうやって、可能にしているのか、

 それは、彼が枝の動きに同調して居るのだといえるのです。

 同調し、自らの身体の一部のように利用できると云うことです。

 同調とは、「動きに同調」すると云う性質を持つのです。

 これは、人が道具を使うことにもいえます。

 あたかも、自分の身体の延長の如くに道具を使う、職人や、釣り師の竿、調理人の包丁、

 熟練し、研鑽を積み、わが身のような道具は、同調し、一体化したがゆえに可能な技といえます。

 ここで云う同調とは、必ずしも動くものばかりではないのですし、手に取らないかぎり、

 人が(あるいは猿が)利用しないかぎり
静物であるので、彼は使うことにより「動きの質感」を

 掴まえ、同調しているのだといえます。

 ここで挙げた例は、多少ひねってあり、ミラーニューロンが関与するか、専門的な判別が

 出来ませんが、
身体の同調が、動きの中で引き起こされると云う事は疑いないことなのです。

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 感応する


 整体では、同調し、感応することが必須ですが、感応とは何でしょう。

 感応は、身体が身体の動きに反応し、全く同調し、同じ体状況を生むことです。

 非常に興奮した人が、そのグループにいると息の速さ、脈拍の早さがその成員内に伝播します。

 別にその人にとっては、興奮する理由がないのに、心理的に冷静な感じがするのに、

 興奮したひとりによって
テンションが上がり、同じように上ずってくるのを感じるのです。

 同じ目的をもって集まっている集団では、よく見受けられる同調現象です。

 同調し、感応している状態です。

 ただ感応には、次の気の動きがすでに起こっています。

 同調し、反応したうえで、共有化された問題点が次に必要な動きの方向を促すのです。

 この気の動き、こちらにもあちらにも(相手も自分も)同時に起こるこの動きこそが

 感応と呼べる状態です。感応はそれゆえに双方向的であり、循環的です。

 同調が一方向的であるのに、感応はそのまま同行二人で旅立ってしまうようなもので、

 展開と云うものを伴っているのです。

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